そのオッズ、いつ見ましたか――『市場に勝った』が錯覚に変わる瞬間
自分の本命が市場より評価されていた、という快感の正体を疑う回。前日と締切でオッズの意味は変わります。CLVの落とし穴を競馬語に翻訳します。
「自分の本命、締切のときには3番人気まで上がっていた。やっぱり俺の読みは市場より早かった」
この一文を、私は本気で疑ってかかります。気持ちは痛いほどわかります。けれど、ここには馬券ファンが最も気持ちよく騙される構造が一つ、静かに仕込まれているのです。
あなたが見た「市場に勝った瞬間」を分解する
ある馬を前日に「これは人気以上」と評価したとします。あなたは正しかった。だから締切までに他の人もその馬に気づき、オッズは締まっていく。あなたが買ったときより人気になる。
ここで多くの方が、こう感じます。「締切時点ではこの馬は妥当な評価になった。つまり自分は市場より先に正解を見抜いていた」と。
問題は、その「正解だった」をいつのオッズで採点したかです。あなたは前日のオッズで買い、締切のオッズで自分を褒めている。物差しが二つあるのに、都合よく使い分けているのです。
これはスポーツベッティングの世界でCLV(クロージング・ライン・バリュー、締切時点のオッズに対する優位)と呼ばれる考え方の、最も甘い誤用にあたります。締切のオッズを基準にすれば、前日に正しく評価した馬はほぼ全員が「市場に勝った」ように見える。なぜなら、正しく評価できた馬ほど締切までに人気が動くからです。順番が逆なのです。
「割安だった」のではなく「あとで動いただけ」
たちが悪いのは、この錯覚が外れたレースでも発動することです。本命が飛んでも、「でも締切ではちゃんと人気していた、見立て自体は合っていた」と自分を慰められてしまう。締切オッズという後出しの物差しは、勝っても負けても「市場に勝った気分」を供給してくれる、実によくできた装置なのです。
私たちが内部で検証して、最初に頭を抱えたのもまさにここでした。「自分の本命と市場がズレている馬ほど儲かるのではないか」という、いかにも筋の良さそうな仮説です。締切時点のオッズで測ると、確かに自分の評価は市場を数ポイント上回って見えました。
ところが、買える価格――前日や、実際に賭けた瞬間の価格で測り直した瞬間、その優位はきれいに消えました。残っていたのは「先に評価した馬が、締切までに人気になっていく流れ」を、自分の手柄として数えていただけ、という身も蓋もない事実でした。締切のオッズは、もう誰も買えない値段なのです。
だから、CLVで「勝っても」儲かるわけではない
ここで一段、正直に着地させます。
仮にあなたが本物のCLVを持っていたとしましょう。前日に買い、締切で確かに人気が締まる馬を、再現性をもって選べるとする。それでも――競馬では控除という壁が立ちはだかります。日本の単勝・複勝で2割前後、馬券の払戻はその分だけ最初から目減りした世界で行われます。
締切で人気になる馬を当て続けても、その優位が控除の幅を超えていなければ、回収は壁の内側に留まる。「市場に勝った」と「儲かった」は、まったく別の話なのです。CLVは”良い予想をしている証拠”にはなり得ても、それ自体が利益を保証しはしません。ここを混同した瞬間、馬券は感情の娯楽に化けます。
私たちは、この手の「気持ちよく市場に勝った気になれる物差し」とは、正直に距離を置いています。
では、何を信じればいいのか
答えは地味です。自分が実際に賭けられる価格で、自分の評価を採点すること。前日に買うなら前日のオッズで、締切に張るなら締切のオッズで。後から動いた値段で過去の自分を褒めない。それだけで、馬券の自己評価は一段冷静になります。
市場は、あなたが思うよりずっと優秀な対戦相手です。前日の段階で、たいていの「常識的な評価」はもう織り込まれている。だからこそ価値があるのは、市場の温度感とデータの温度感が本当にズレている、ごく一部の局面を冷静に見極める知性のほうです。「勝った気になる瞬間」を一度疑える人だけが、その入口に立てます。
よくある質問
Q. CLV(締切で人気になる)を狙うのは無意味ですか? 無意味ではありません。締切で人気が締まる馬を継続的に選べるなら、それは予想の質が高い証拠です。ただし「質が高い」と「回収率が壁を超える」は別物です。控除の壁を超える優位かどうかは、必ず買える価格で検証してください。
Q. 自分の本命が締切で人気になったら、評価は当たっていたのでは? 評価の方向は合っていたかもしれません。ですが、それを「市場に勝った」と数えるのは締切のオッズという後出しの物差しを使っているからで、買ったときの価格で見れば優位は小さい、あるいは無いことが大半です。
Q. 結局、どの馬を本命にすべきか教えてほしい。 このコラムは”考え方の枠組み”をお渡しする場で、結論(印・買い目)は予想記事の役割です。市場の温度感とデータの温度感のズレを、毎週どう読み解いているか――その実物は note でご覧ください。 https://note.com/keiba_hitaxis
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